1995年ごろヒップホップは日本でも一世を風靡しました。まちにはBボーイやBガールと呼ばれるアメリカの黒人文化を真似した少年少女があふれ街にラジカセをもってくりだすつわものもいました。ヒップホップとはアメリカのニューヨークやロサンゼルスなどの大都市に住む黒人移民の文化の総称ですが、それは音楽と密接にからんでいます。ラッパーとはヒップホップの音楽にあわせて曲をうたう人です。そして、DJとはターンテーブルにレコードをのせ回す人です。それ以外にもヒップホップの曲に合わせて踊るヒップホップダンサーやブレイクダンスをするブレイカーなどどれをとっても独創的で日本にはまったく目新しいものとしてうつりました。彼らを牽引したのは日本でいえば団塊ジュニアの世代です。彼らは第二次世界大戦の終結後、戦地から本国に帰国した人たちがこぞって子供を作った団塊の世代の子供たちで形成されています。彼らはその豊富な人的資源から横のつながりがつよくまた数にものを言わせ争ったりもしました。しかしとてもクリエイティブでした。ところがヒップホップもその文化の特徴から少子高齢化が進むなかで横のつながりを重視したり数にものをいわせることができない世代が若者の中心となるとその勢いにも必然的にかげりが見え始め最近では下火となっています。ヒップホップはクリエイティブな文化ではなくなり、もはや最近の若者は過去の文化として、失笑の対象にしたりもしています。
僕の学校の近くに、ヒップホップのCDを専門で売る店があります。そこの特徴としては、CDだけではなく、なんとレコードも置いてあるという、なんとも本格的な店です。なので、多くのDJの人なんかも寄っていくくらい、その筋では割と有名な店なんです。何度か、雑誌の取材も受けてるんですよ。インターネットでの通販も行っているみたいですし、死角はなし、といったところでしょうか。
ヒップホップは、1970年代にアメリカ・ニューヨークのブロンクス地区で、アフリカ系、カリブ系、ヒスパニック系などの住民たちのコミュニティから生み出された文化です。あるミュージシャンが、飛び跳ねる、躍動するというような意味を持つhipとhopという言葉を組み合わせて考案した言葉です。このヒップホップという言葉が誕生したのが1974年の11月だったとされることから、11月は「ヒップホップ・ヒストリー・マンス」と呼ばれ特別な月となっています。一般に、ヒップホップと言うとラップ・ミュージックのことだと思われがちですが、これはヒップホップのひとつのジャンルに過ぎません。
ヒップホップ音楽の楽しみ方についてなんですが、ヒップホップと言うと、アメリカのブロンクス区等で、アフロアフリカやカリビアンや、ヒスパニック系の人たちの集うコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化のことを総称して、こう呼ぶみたいですね。ヒップホップというと、子供のダンスのジャンルにも入っていますよね。リズミカルで、楽しくなってしまう音楽に合わせて、形式にとらわうれないで、踊るということが大事なんだという踊りなんですよ。ヒップホップ音楽の楽しみ方についてなんですけども、サンバとかも恐らくこのジャンルに入るのではないかと考えられています。
ヒップホップとは1970年代アメリカから発祥した文化なのだそうです。私はヒップホップは音楽のジャンルを述べている言葉だと思っていました。アメリカの当時のスラム街ストリートで流行ったダンスや、ラップミュージックや、スプレーアート、DJという四つが重要な要素となったライフスタイル、文化、なのだそうです。そこからヒップホップミュージック、ヒップホップダンスなどが成り立っているのです。ヒップホップというと、ストリートっぽい、ちょっとワルッっぽいというイメージが浮かぶのは発祥がスラムストリートから出来上がった文化が基盤だからなんですね。あまりヒップホップのことを詳しく知らないままに、ちょっとカッコイイな、って思って自分の娘達をヒップホップダンス教室に通わせることにしました。ちょっとクールに決めたようなダンススタイルが素敵だなと思い、子供達に是非やってみてもらいたかったんです。
ヒップホップという形態が台頭してきたときに思ったことについて、思いつくままにいろいろと書いてみたいと思います。音楽の産業においての流行というものの激しさには、いつも驚かされるばかりです。先日まで流行していたものがあっという間に廃れてしまい、今日からは今までは存在しなかった新しいジャンルが台頭することなど日常茶飯事であるといえます。1970年代の後半からはダンスミュージックの主流はディスコティック一色といった感じでした。その後ダンスミュージックはテクノミュージックへとシフトしていったかと思うと、その後にはユーロビートなる音楽が流行するようになりました。