衆人環視の中でおこなわれるヒップホップという芸術スタイルを、パフォーマンスアートやストリートアートの一種とする考え方もあります。本家のアメリカでは、ヒップホップと言えば、エムシーによるラップ、ディージェィ、ブレイクダンス、ペインターによるエアロゾルアートが不可欠な要素とされます。日本のヒップホップの場合、ラップ、ディージェィ、ブレイクダンスの3要素までに留まる場合が多く、「落書きによる器物損壊」と受けとめられがちなエアロゾルアートは入り込みにくい環境にあります。ヒップホップの本場、アメリカでも、エアロゾルアートによる表現を芸術と受けとめるか否かには個人差が大きいようです。アメリカで最も有名な警察小説シリーズの1作品として、街頭の壁にスプレーで絵を描くアーティストを狙った連続殺人事件を描いた長編が1993年に出版されるなど、アートとモラルの衝突は社会問題になっているともとらえられます。個人の自由に対する感覚が先進的なアメリカでさえこのような様子なのですから、国民性の上から日本でエアロゾルアートは受け入れられにくいのでしょう。日本のヒップホップにおいては、スプレー缶によるパフォーマンスではなく、映像によるパフォーマンスが発達したのではないかと思われます。プロジェクターや電光表示盤などによるデジタルサイネージが、エアロゾルアートの2次元的ビジュアルパフォーマンスの座を受け継いで、「街頭を汚さない」ストリートアートを構築しているとも言えるわけです。観衆から見えるようにデジタルサイネージを使うには、それなりの大きさの映像機器が必要なのでハプニング性は損なわれますが、日本人の倫理観に敵対しないヒップホップが形成されうる環境は整います。
人それぞれ音楽の好みがある。当然自分にも好みがある。私の好きなジャンルにヒップホップがある。自分が思うに『ヒップホップは不滅である』ということ。それは大人になってからこそ思うのであるが、やはりノリのよい、前向きになれる音楽は人間の体に必要だからだ。紆余曲折を経験して(まだまだ経験不足であるが)前向きになりたい時間は結構おおい。それだけ生活で何かいろいろあるということである。小さい悩みも多いということだ。それでも、次の朝は必ずくる。
ヒップホップというと黒人の方がふと頭に浮かんでくる。元々ヒップホップの歴史を辿ると、スラム街で誕生した音楽であり、路上で韻を踏むという知的なゲームから派生したものだと聞いたことがある。口げんかの延長で韻を踏みながら相手を罵ったり、というような事もあったらしい。また、ヒップホップのダンスの中でブレイクダンスというものがあるが、これも相手に触れずにダンスで威圧しながら喧嘩するという文化が確かに存在している。
ヒップホップは1970年代にニューヨークのブルックリンで誕生したと言われている、日本には1980年代の後半に入って来たそうだ。80年代の後半から90年代初期はあまり人に知られていない音楽のジャンルだった。その当時、日本語でラップをするという事は大変難しかった。それはなぜかというと誰も日本語のラップをしていなかった為、どのようにラップしたらいいのか確立されてなかったからだ。しかし、日本語でラップするアーティストが出現し始め、だんだんと日本語のラップが確立されていった。
ヒップホップといえば、およそ四十年前に、アメリカのニューヨークで発祥した音楽文化といわれています。攻撃的で勢いのあるその音楽で、ニューヨークのギャングたちは実際に銃や暴力で傷つけあうことなく、実に文化的にバトルを繰り広げていたといいます。一方、日本におけるヒップホップは、そこまでアグレッシブなものばかりだけがあるわけではなく、いわゆる「ゆるい」感じのラップが乗っていたり、可愛らしい女性の声で平和的なムードが漂うものもあります。どちらかといえば日本のヒップホップは「みんなで楽しく盛り上がろう」という意味合いが強いのかもしれません。さて、日本におけるヒップホップで今かなり注目されているのが「ネットラップ」です。
うちの子供は、週1回、非営利団体が主催すするヒップホップ教室に通っています。地域では有名な教室なのようで、幼稚園児以下のコースは、入会待ちの子供がいるくらい盛況なようです。うちの子は、小学生で、住んでいる地区のコースもまだ余裕があったので、年度途中からですが入会することができました。年度途中からの入会だったため、今期の発表会に出ることは本来できないのですが、全体演技は簡単な踊りらしいのでそちらにだけは出れるとのことでした。子供の入会前、私は、ヒップホップというものはどんなダンスをするのか今まで全く知りませんでした。